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根室金刀比羅神社例大祭

草莽崛起


ウェブサイト制作について


最後までご覧頂いてありがとうございます。

上から目線のコメントに加えて,見苦しい素人のトイカメラ。
ほとんどが自己満足の域を超えぬ構成で誠に恐縮です。

根室の高校を卒業して数十年。
中年に差し掛かって,望郷の念が芽生えるように鳴りました。

地元の情報をインターネットで調べていくうちに,ニムオロ塾というブログにたどり着きました。
市内で進学塾を営みながら,合理的かつ実践的に諸問題を解決させようと活動されている
“人間デベロッパーブログ”です・

このブログにコメントをしながら,この素晴らしい故郷根室の景色をインターネットに公開し,みなさんに見てもらおうと思い立ちました.
塾の管理者さんにも歓迎していただき,彼のブログ内で本サイトを紹介して頂いています。

人は,人の「見たい」という言葉に奮い立つものです。
見てくれる人がいるとやる気が奮い立ち,また認められると意識も向上します。
さび付いていた鍵穴に,そっと合鍵を差し込まれた。そんなきっかけで意欲の扉が解き放たれたのです。

なぜ草莽崛起がテーマなのか


このページの最下段にも説明しますが,“草莽崛起”とは吉田松陰が維新の決意をしたときの言葉です。
草莽は草むら。崛起は立ち上がるという意味で,志を持った庶民たちが立ち上がるという意味につながります。

この言葉を選んだ理由には,
根室はいたるところに草むらがあり,雑草が身近なものであること。
昔は子供が遊びまわることで踏み潰されていましたが,最近は生い茂った雑草が寝ていないこと。
小学校のグラウンドに雑草が生えていることが衝撃的だったこと。
根室市民に,過疎化を迎えた街の存亡に危機感を持って志をもって欲しいこと。
普段は賑わうことが少ない街ですが,夏になるとお祭りがおおいに盛り上がる様子を見たこと。
定着したようにみえる北方領土返還運動ですが,運動のあり方と,国民の意識が薄いことに疑問と危機感を感じたこと。

根室の姿を見て感じたことをまとめたら,この言葉が当てはまりました。

政治的な意図はなく,保守系の市民団体とはまったく関係ありません。
むしろ是々非々で,改革思想を進める革新系にも理解を示しながら,我が国を愛する保守思想にも思考が通じています。

なぜ西暦表記ではないのか


神社の行事へ赴くのに,西暦を用いるのは適していないと考えました。

日本の歴史は天皇の歴史とつながります。
今年は神武天皇が即位して2669年,だから皇紀2669年なのです。
西暦に660年を足せばよいから覚えやすと思います。

平成という年号も考えましたが,不連続なものより継続的な表現が以前から気に入っていたので,
“ねむろ金刀比羅神社例大社祭 2669”というタイトルで始めました。
※毎年更新するので,現在は2669の数字を取って“ねむろ金刀比羅神社例大祭”というタイトルにています

ではなぜ「根室」ではなく「ねむろ」なのでしょう。
それはひらかな表記にすることで優しさが伝わると思ったからです。
人にも社会にも優しい故郷であって欲しいと願っています。

地元の役に立ちたい,なにかの形でつながっていたい。
そう思って,取材にも力が入ります。

今後も記事をアップし続け,情報を拡充させようと思っています。

サイトの進化


2670年からは動画に音が付きました。
デジタルビデオカメラを購入し,現地の様子を音付きてお伝えできるようになりました。

腕も素人で,しかもカメラも安価なおもちゃですが,取材に使う機材が少しづつ充実されてくるところが,製作者として楽しみにもなっております。

2672年には3代目になるズームレンズ付きカメラを購入。
2673年からはスマートフォンを購入し,ニコニコ動画やツイキャスで生配信もやっております。
2674年には4代目のズームレンズ付きカメラを新調。タブレットも複数台購入し,電池切れの対策をしました。

このサイトは,7月ころからアクセスが増え始め8月にはピークになります。
動画サイトのYouTubeも同様に,8月のアクセスがもっとも多くなります。
興味のある方はぜひ“くらぶなびチャンネル”をお気に入りに登録して下さい。

気がつかないくらいのマイナーな更新ですが,デザインや画像などに手を加えています。
これで完成ということはありませんから,常に進化させようと向上心を失わず更新します。

これからも遊び心も忘れずに,奉仕の精神で続けていこうと思っております。

2676年7月更新 製作者

吉田松陰(Wikipediaより)

草莽崛起

「草莽(そうもう)」は『孟子』においては草木の間に潜む隠者を指し、転じて一般大衆を指す。
「崛起(くっき)」は一斉に立ち上がることを指す。“在野の人よ、立ち上がれ”の意。

安政の大獄で収監される直前(安政8年(1859年)4月7日)、友人北山安世に宛てて書いた書状の中で

「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。
されど本藩の恩と天朝の徳とは如何にして忘るゝに方なし。草莽崛起の力を以て、近くは本藩を維持し、遠くは天朝の中興を補佐し奉れば、匹夫の諒に負くが如くなれど、神州の大功ある人と云ふべし」

と記して、初めて用いた。