〜 根室での最後の思い出に 〜 |
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このページは 根室を去る際に立ち寄って欲しい名所を紹介する 国道で釧路方面へ抜ける際に立ち寄りやすい名所を集めた 根室半島は北海道の東端から突き出すようになっているので 行きも帰りも同じ道程をたどることになり 計画が立てやすい そして 心に染み入る産業の遺産も紹介する 最後の思い出として 最後の旅程に入れて欲しい |
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〜 根室常盤台公園 〜
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2669 常盤台公園 |
帰省スケジュールの最後に当てていた常盤台公園 ここに女工節の記念碑がある 根室の水産加工業の現場では 今でも“女工”という言葉が残っており 水産加工業の労働力として、重要な役割を担っている かつて産業を最下辺から支えた彼女たちは 全国から住み込みの奉公にやってくる 期間契約の労働者だった 漁の状況によっては夜業(徹夜仕事)も当然 蟹はいったん水揚されると急に鮮度が落ちるので 待ったなしで茹で続けなければならない 心身ともに酷使する過酷な労働であった いまでこそ労働環境は大きく改善されているが 社会的地位を低く見る目がなお多い 子供の頃はよく彼女たち会って話した 殺気立った職場というイメージがそのとおり当てはまる また女工さんの世界は独特な雰囲気があって 社会の常識とは隔たりがある この碑は押しボタンで歌声が流れるしくみになっており 歌を聴きながら,つらい昭和の時代に思いを馳せた 故郷に子供を置き 日々を働き続けた彼女たちの苦心は 如何ばかりのものだっただろう |
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仕事中は私語が許されない ただ歌を歌うのは,眠気防止になるという理由で 工場の監督者は何も言わなかった 女工さんたちは故郷に残した子どもや家族のこと そして夜業の辛さを うまく歌に含めながら歌うようになった 自分が歌えば次はあなた その次はあなたと伝え歌うのだ |
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2669 常盤台公園 |
ボタンを押すと女工節が流れるようになっている いつか動画でアップしたい ※念願の動画を収めることに成功しました 下記をご覧ください |
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2675 根室女工節 |
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根室女工節 女工女工とみさげるな 女工のつめたる缶詰は 横浜検査で合格し アラ女工さんの手柄は外国までも 工場の窓から沖見れば 白波分けて旗たてて 又も積んできた蟹の山 アラ可愛い女工さんまた夜業 故郷離れて来ておれば 文の来るのを待つばかり 千島がよいの便り船 アラ今日も来るやら来ないやら |
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2674 常盤台公園 |
噴水 | |||
2674 常盤台公園 行幸記念碑 |
40年くらい前 幼少の頃だけど この碑のそばで屋台で買ったとうもろこしを食べた記憶がある カニ祭りなど 根室のイベントはこの常磐台公園で行われていた ここは根室市役所の跡地を利用した公園で 当時は最大級だった 会場に適した広い土地が少なく限られていたのだ 街は 変わるものと 変わらないものとが 混在する |
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2674 常盤台公園パノラマ 拡大 |
国道沿いにあるにもかかわらず そこは根室,静かなものだ 行政の建物が建ち並ぶ中心地とは思えない 静粛に身を投じて、時が立つことを忘れてしまう ここはトイレやベンチもあって過ごしやすい 以前は車の乗り入れができなかったが いまでは駐車場も完備しており 長期滞在の旅行者が、よく休んでいる イベント会場というかつてのイメージは完全に払拭された 街ナカにある緑のオアシスだ |
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2674 常盤台公園 |
ラクスマンの来航をイメージしたモニュメントらしい アダム・ラクスマン(1766-1806)は 海難事故に遭った伊勢国の商人大黒屋光太夫を 日本に連れ戻してくれたロシア商人だ 大黒屋光太夫の物語は映画や書籍になっているので 興味のある方は一読を勧める この形は汽船の煙突だろうか 石版には“歴史の然”とタイトルが付けられている そうだ根室は歴史的だけではなく リンドバーグがご夫婦で立ち寄ったように 出会いの街でもあるのだ |
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2674 常盤台公園 |
噴水もあり涼しげな空間だ 夏の暑い日はここに来ると納涼になる 根室駅や官公庁にも近く また“シタマチ”と言われる中心街にも近いので 出張や旅行の際は立ち寄ると良いだろう |
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2678冬 春を待つ |
このとおり根室は雪が少ない街だ 吹き溜まりは多いが積雪量は少ない 晴れが多く北国の豪雪とは印象が異なる 寒さも内陸よりはかなりゆるい ただ,風が強く体感温度は厳しく 防寒より,防風に意識したほうが過ごしやすい |
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2674 根室市役所 |
常盤台公園に隣接して根室市役所が建っている 昔は反対で 現在常盤台公園のあるところに庁舎があったそうだ 入り口の案内表記は英語とロシア語 そういえば市内の至る所にロシア語をめにするのが特徴的だ 今で充分だ。これ以上の外国語表記は勘弁して欲しい さてここは市政を司る官庁の中心であり 行政のシンボルでもある 内容が重要であるが実態はいかがだろう? |
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2674 根室市役所 |
いろいろと置物がある 私が子供の頃よりも増えているようだ 画像2番目のイカリは船で使われていた実物だそうだ ちなみに国内の姉妹都市は富山県黒部市 向かって右隣りには根室振興局(旧根室支庁)があり このあたりは根室市行政の中心地域になっている 根室の街はもともと海岸付近から発展したので 行政庁舎はもっと海寄りに集中していた 根室の歴史には詳しくないのでこのへんで勘弁して欲しい |
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2674 根室市役所全景 拡大 |
あいにくの曇り空できれいに撮影ができていないのが残念 それでも根室は湿度がなく 気温が上がっても,まるで夏ではないように涼しい 根室には夏がないのだ |
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〜 戦争の爪あと 〜
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2669 牧の内ダム |
2681追記 ここは無理に回らなくても良いと思う 根室で唯一のダムがあるだけで,見物できるものはない 2669 子供の頃よく遊びに来た牧の内ダム このへんの河川はすべてオホーツク海に注いでいる ここも子供たちの姿がなく 人を阻むように雑草が立っていた アブが多く 荒れた谷地になっていた |
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白銀の雪に包まれる牧の内ダム |
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〜 戦争の爪あと 〜
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2669 牧の内ダム上流 |
牧の内飛行場に向かったのだが うかつにも場所を失念してしまった そういえば牧の内小学校はよくお化けが出ると噂があった 隣にはキャンプ場があり 小学校跡や防空壕(実際は格納庫?)でよく遊んだものだ この日は風も無く穏やか 自然無為とはこのような情景をいう 空気の流る音が聞こえる こんな経験,都心では絶対に無理だ まるで時間が止まっているよう |
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2670 大日本帝国海軍根室第二飛行場 |
昨年の失敗を返上すべく 下調べをして牧の内飛行場へ向かった それでも子供の頃の記憶が薄れているのに加えて 周囲の環境が変わっていたこともあり 道に迷いながらの到達となった 廃棄物の不法放棄ばかり目立つ |
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2670 |
ひび割れからは雑草が茂って 長い年月を感じさせる |
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2674 |
この年はお盆(旧盆の7月)に撮影 目に見える劣化はないが 人の記憶が薄れてゆくのではないだろうか 今年はニコニコ生放送をここから配信した 興味のある方はコミュニティ参加の上で閲覧して下さい |
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2670 |
広場と広場の間にある草木は 進駐軍が飛行場として使えないようにしたもの (※航空写真参照) |
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8月といえば日本が終戦した月 いつもお祭りのことばかり考えてるが 日本人の多くは終戦の弔いムードとなっていることを 忘れてはならない まして根室は大規模な空襲があった土地 シャッターを切りながら 胸の中で手を合わせた |
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グーグルマップ | 航空写真で見ると,位置や様子がよくわかる こんな霧の多い地域で飛行機の離発着は可能なのだろうか |
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2678冬 大日本帝国海軍根室第二飛行場 拡大 |
レシプロ機の時代とは言え こんなに長い滑走路が必要だったのだ 完成したときはすでに終戦に近かったため 第一飛行場に比べて使用頻度は少なかったらしい |
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ドローンによる上空撮影 根室でご活躍されている HIMAGE Lab chさんの You Tubeチャンネルからお借りしています |
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〜 戦争の爪あと 〜
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文化庁 報道発表資料 1 国後島とのつなか?りを示す歴史的遺構 001 根室国後間海底電信線陸揚施設 北海道根室市 昭和10年頃 根室と国後島を繋く?通信用海底ケーフ?ルの陸揚施設。 電信線は明治時代に逓信省か?根室から国後島を経由して択捉島まて?設営し、 この建物は電話線開通頃の建設と考え られる。 東西約3・8メートル、南北約5・ 9メートル、鉄筋コンクリート造平屋建て?、 南面中央を入口として半円柱を立てる。入口前方に門柱を付設。内部は2室て?奥室に陸揚の床開口を残す。 |
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2683 根室国後間海底電信線陸揚施設【4K60p】 |
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2673 国後島海底ケーブル陸揚庫 |
国後島海底ケーブル陸揚げ庫 ※登録有形文化財に登録されたため 正式名称は 根室国後間海底電信線陸揚施設 となった 旧逓信省により明治33年頃に建設 全長38.2kmにも及ぶ海底ケーブルが国後島の泊村ケムライ岬まで延びていた ここは根室側の起点である |
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2673 雑草に埋もれる |
新聞の記事によると 旧ソ連軍侵攻の際にも現地の状況が随時送られてきたという 終戦の年の9月8日に通信が途絶え 後にソ連側にケーブルを切断されたそうだ |
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2673 荒れた内部 |
このように老朽化が著しい 最近になって「海底ケーブル保存の会」という団体ができたそうだ 領土問題の啓発に活かす環境の整備を期待したい |
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2673 海側より撮影 |
ホタテ漁の際に道具にひっかかり 危険ということで一部のケーブルが引き上げられた ケーブルは花咲港小学校に隣接する 根室市歴史と自然の資料館に展示されている ※後述で画像あり じつは資料館の職員に場所を聞いたのだが よく分かっていなかった・・・ この当時の認識はその程度のものだった 地味なところにあり,周りには目印もないので それも分かる 近く,市の予算で整備することになったそうで 歴史的建造物の保存という観点からも どうか地域で話題にして欲しい ※いまはずいぶん整備されており 観光で訪れても損はないと思います ※2021年に登録文化財に指定されるとの情報があった。それは頼もしい |
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2673 ハッタリ海岸遠景 |
この辺りは“ハッタリ海岸”と言われている この道は旧国道44号線であり 昔は釧路方面から根室市内に至るためには 必ずここを通ったものだ 天候が悪い時は海寄りの風が強く 道路が潮水で冠水してしまうことも珍しくない そんな悪条件にもかかわらず 100年以上も経ったも今なお現存する 明治時代に造られた軍事施設の堅牢さに脱帽する |
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平成二十五年の国会特別委員会で,この施設に関する質問があったのでご紹介します 国会会議録検索システムより 第183回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号 平成25年5月10日より No.120 ○紙智子君 是非、引き続き提起もしたいと思いますし、考えていただきたいと思います。 それから、最後になりますけど、これ、根室市のハッタラ浜にあります千島の電信回線・海底ケーブルの陸揚げ庫なんです。非常に歴史的建造物でもあって、かつて根室と国後それから択捉を結ぶ海底ケーブルということで、やっぱりはっきりこれつながっていたんだということの証明でもあるわけですね。それで、非常に大事でありまして、根室市が今年度の、土地を取得して整備していきたいということで、先日私も現地を見てきたんですけれども、啓発の事業にとっても大きな資産となるので、是非その保存に向けて後押しをしてほしいということなんです。 それで、ちょっと事前に大臣の方にもちゃんと目を通してもらうようにというふうにお願いしていたんですけれども、お読みになっていると思うんですけれども、是非一言お願いしたいと思います。 ○国務大臣(山本一太君) ちょっと、これは事前に読ませていただきました。終戦時まで電報などの伝達手段として、今委員がおっしゃったように、根室と国後とを海底ケーブルで結んでいたということで、根室側の施設、この写真にある旧海底電信線陸揚げ施設、これ海底ケーブル陸揚げ庫というんでしょうか、これについては、根室市が重要施設として保存する方針を決めたということは一部の報道で私も承知しております。 本件については、根室市から具体的な御相談等があったときには内閣府として何ができるか…… ○紙智子君 誰か行っているということですか。 ○国務大臣(山本一太君) いや、正式に多分来ていないんだと思います。 ですから、根室市の方から正式な御相談があったときには内閣府として何ができるかは検討させていただきたいと思っています。 ○紙智子君 ありがとうございました。終わります。 リンクURL:http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/183/0020/18305100020004a.html 2679冬 北方資料館にて |
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2670 根室市歴史と自然の資料館 拡大 |
これが海底ケーブル まだ使えそうなのが驚く ※アナログ通信なら実際に使えるそうだ 明治政府の遺産であり,我が国の財産だ そして決して忘れてはならない歴史が ここにあった |
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〜 戦争の爪あと 〜
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2679 桂木のトーチカ群 拡大 | 根室のトーチカは友知のものが有名だが 桂木にも存在する 市内には飛行場跡や防空壕、格納庫なども存在しており 戦時中の建物が手付かずのまま残されている 前述した根室国後間電信線陸揚施設は 市内から近く,案内板も出ているのでアクセスしやすいが, ここは位置が分かりにくいのが難点だ 地元の方に聞きながら行くことをおすすめする |
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2679 桂木港 |
ひっそりとした桂木 小学校の遠足で訪れたことがある アブラコなんか子供でもたくさん釣れたものだ 落ちている網を適当に丸めて そのへんに落ちてる魚の切り身を網の中に固定し 転がっている石を重りにして海に投げ込めば 簡単に花咲蟹が捕れた |
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〜 護国神社 〜 |
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2671 |
祭り見物のあいまに根室護国神社に詣でた 戦没者慰霊の碑 お祭りの喧騒とかけはられてく 辺りはひっそりとしていた 私たちが健やかに暮らせるのも 先人たちの苦労と犠牲 そしてなによりも 希望があったおかげであることを 忘れてはいけない |
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〜 忘れられた足あと 〜
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2674 市営墓地にて 小市の墓 2675 2675 小市の墓 正面 2675 小市の墓 アップ 2675 2675 タイムカプセル 2675 ひっそりと咲くネジバナ 2674 梶原平馬の墓 |
市営の墓地へ寄った 案内板が読みにくいかもしれないが ひとつは“小市”の墓 小市とは 井上靖原作の小説“おろしや国酔夢譚”にも登場する 江戸時代に実在した人物 伊勢白子の浦を出港した紀伊家御用船が駿河沖で遭難し 9ヶ月あまりの漂流の上,アリューシャン列島の島に漂着した 船頭を務めていた伊勢の商人,大黒屋光太夫は 厳寒と食糧難の厳しい環境でシベリアを横断し 仲間が次々に亡くなっていくなかモスクワまで到達 帝政ロシアの皇帝エカチェリーナ二世に帰国を懇願し みごと日本へ帰還を果たす壮大な物語だ 1992年には映画化もされている 一行はロシアの研究者ラクスマンと共に日本へ帰るのだが その中の一人である賄役の小市が 念願の帰国を果たしたのにもかかわらず 故郷伊勢を目前にして惜しくもこの根室の地で亡くなったのだ さてもうひとつは梶原平馬の墓 梶原平馬は会津若松藩の筆頭家老で 縁があって根室へ辿り着き亡くなったそうだ 根室市教育委員会の案内板だが ずいぶん読みにくくなっている 市営墓地は国道44号線沿いにあるので 墓石で手を合わせてくれるとさぞ小市も喜ぶだろう |
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2679冬 小市の墓 |
冬に訪れた小市の墓 だれも立ち寄ってはいないことは 周りに足跡がないことが物語っている 有志により定期的に法要を営んでいるそうだ 見知らぬ土地でなくなった小市に 見知らぬ者がこうして手を合わせる 4月2日は小市の命日である |
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小市の菩提寺 宝祥寺 |
三重県の鈴鹿市に小市の菩提寺がある 参拝に行ったときの画像があるので載せた 近鉄千代崎駅から歩いて行ける距離だ 温暖な土地で道端には柑橘類がたくさん実っていた そんな土地に生まれ育った小市が よくもあんな厳寒地を耐え忍ぶことができたことか その苦労が忍ばれる |
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2679冬 ラックスマンの壁画 |
根室警察署の坂に ラックスマンにまつわる壁画が描かれいてる アダム・ラックスマンはキリル・ラックスマンのご子息だ 彼の船で光太夫一行は根室までたどり着いたのだが 惜しくも故郷の地を踏むことなく 小市は根室の地で逝去した 下から2番目の画像は いまの本庁付近で過ごした様子を描いたもの 弁天島がデフォルメされて描かれているのが分かる |
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〜 根室十景 温根沼から春国岱へ 〜 |
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2679 冬の温根沼 |
国道44号線で根室へ入ると ひときわ大きな沼に大きな橋がかかっている 根室十景のひとつ温根沼だ 根室半島はこの部分でほとんど陸が寸断されているので 島のような形になっているのだ かつては赤い橋が2つ架けられており 大きいほうが温根沼大橋 小さいほうが温根沼橋だった |
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2670 温根沼大橋 2675 温根沼大橋 2678冬 2675 2675 拡大 |
さて根室を去る日がやってきた 国道44号線を釧路方面へ走り出す 温根沼大橋 昔は2つの赤い橋だった ひとつが温根沼大橋で もうひとつが温根沼橋 ここは潮の満ち干きが早いことで有名 入江の割には深度があるそうだ 根室半島は根元の部分で海が内陸まで入り込んでおり つまりはこの辺りで島のように分断する形になっているのだ ここから東側は北海道とは地質が異なる 乱暴な言い方をすれば ここから東側は 地質学的には北海道ではないということになる (あぁ言っちゃった・・・) |
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〜 根室十景 春国岱の夏 〜 |
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2675 根室十景 - 春国岱 2675 |
ラムサール条約の登録地“春国岱” シュンクニタイと読む 昔と違って環境が整備されているが 看板も雑草に隠れており 案内板も小透けている 2675追記 小透けているどころか 欠損しているではないか |
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2670 |
これ以上は進めない 熊出没注意の看板が立ってた さすが根室 しかし熊にしてみれば 人間出没注意だ 2679冬 うまいことを言うので紹介する |
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〜 根室十景 春国岱の冬 〜 |
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2679冬 うまいこと |
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つがいの丹頂鶴も見られる | |||
2679冬 レイクサンセット |
対岸(陸側)にはレイクサンセットという宿泊施設があり この時期になると大勢の写真家に人気のスポットになる |
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〜 根室十景 風蓮湖 〜
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2667 スワン44(旧白鳥台) |
道の駅スワン44 以前は白鳥台センターという名前で 白鳥が飛来する観光名所であった |
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この案内は白鳥台センターのままになっている | |||
看板が新しくなっていた 根室の入り口にあるので これから観光する方は大いに参考になる 観光が終わった方も 巡った足跡を整理するにも良い |
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詳しく書かれているマップなので 野鳥の観察にとても便利だ ただしヒグマの出没には充分気を付けて欲しい 最近では市内の住宅地にまで出没するようになった |
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2667 スワン44 |
景色の良いところで レストランもあり おみやげ屋さんもあり 自然公園に関する情報も得られる |
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2667 スワン44 |
このあたりは 白鳥が一時的に休むところになっており 力をつけたらまた飛び立っていくのだ 小さい頃に投げ入れたパンの耳を食べる白鳥の姿をみて 無邪気に喜んでいた記憶がある |
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向こう岸に見えるのが春国岱 このあたり一帯が野付風連道立自然公園になっている |
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オオハクチョウや オオワシ,オジロワシなどの野鳥が間近で観察できる カメラを向けると様々な表情を見せてくれる 人懐こい動物たちだ 根室で野鳥観察をするには ここが絶好の場所といえよう |
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2667 風蓮湖 |
近くには野鳥を観察できる施設などもある | |||
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遊歩道に案内板があった 屋根付きなのがうれしい 下手な撮影だが 参考資料にして欲しい |
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2675 丹頂が啄む |
風蓮湖を横目に走っていると 3羽の鶴が見送ってくれた お別れの日にふさわしい 思い出の一コマ |
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〜 追 憶 〜 |
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2675 人の無関心を啄むカラス |
昨夜 賑わった祭りが終り、静かに夜が明けた。 カラスが人の無関心を啄む なんのためらいもなく捨てられるゴミだが 清掃してくれる人がいるから そこにゴミを捨てられるということを 忘れてはいけない。 |